第九ひろしま30回記念企画『私と第九ひろしま』
~泣いた、笑った、歓喜した…合唱団員の想いを手記に込めて~

「会社の朝礼で第九参加を宣言」 西尾 圭子(40代)

私の初『第九ひろしま』は黒柳徹子さんがゲストのときでした。黒柳さんの大ファンだった私はまさに歓喜して参加しました。それから数十年。『第九ひろしま』を今もやっていることをニュースで知りました。3月だったので気が早いと思いましたが、 今年は出ます!と会社の朝礼で宣言して逃げ道を断ちました。あまりに久しぶりの二回目の第九。興奮したことしか記憶にないので、限りなく一回目でした。
この二回目の第九には小学生の自分の子供たちも一緒に参加することができました。 練習はたぶん、全部参加したのではないかと思います。どの先生も音楽と人への愛にあふれ、歌うことが心から楽しかったのです。私の子供も大きくなったら、その子供を連れて、広島の素晴らしい、その頃には伝統となっているであろう『第九ひろしま』に参加させてもらえたら…。これが私の願いです。

「何でも経験してみよう、挑戦してみよう」 門間 惠美子 (60代)

昨年8月に40年ぶりに広島へ帰ってきました。高校を卒業後、銀行に2年勤めたあと横須賀へお嫁に行きました。4年前に主人と死別し2年程は引きこもっていましたが、これからの私の人生まだまだ何かやらなければ…何でも経験してみよう、挑戦してみよう、と思ったのが参加の動機です。
ドイツ語???合唱も初めて…人前で歌ったことなんてありません。本当に何もかも初めてなので、本番ではきっと上がってしまって頭の中がまっ白…なんてことになってしまうかもしれませんが…。秋山先生がデビュー50周年、今回の第九ひろしまが30回目、この間に、私の40年ぶり…と何となく縁を感じています。

「亡き母に勧められた第九」 野田 靖夫 (70代)

今年9月に喜寿を迎えました。第九ひろしまに参加して早や15年になります。参加は今は亡き母さまの薦めによるものです。父亡き後、母に「一緒に暮らしましょう」と愚妻が声をかけてくれました。「年老いた母を一人暮らしにさせません」と云いました。愚妻の一言にほだされた母さまも大きく頷き「お願いします」と頭を下げました。心暖まる妻の一言に目が潤んできました。同居して間もなく「毎年12月にベートーヴェンの第九を放送しているが、一カ所胸がジーンと熱くなり涙が出そうな所がある。靖夫も参加させてもらったら」と云われ入会して15年過ぎました。ジーンと心に迫る旋律の低いささやきに似た声に戦慄を覚えながら、美しく老いて召された母さまの鎮魂と思慕の念を抱きつつ、今年も心情を込めて歌い、今年の歌いおさめにします。

「胸ときめかした指揮者 大友直人氏」 福間 トキ子(80代)

 

一昨年は公演日間近に体調を崩し、やむなく欠席。それが残念だったこともあり、昨年は、胸わくわくで演奏会当日を待った。実は、わくわくの理由がもう一つあった。大友直人氏は、ちょうど25年前、「岡山第九」に迎えた指揮者であったのだ。格好よかった青年指揮者だった直人氏にまた会えると勝手に胸をときめかしていた。「やっぱり、すてき」、お姿に目はくぎ付け。演奏に、かつてより柔らかで深みを感じたのは、4半世紀の時を刻む重みか。それとも、ただ夢中で歌っていた自分自身の25年間の変化によるものか。ともかく私としては、例年に増して高ぶった気持ちで歌い、また一つ忘れられない「第九」となった。

「これが第九なんだ。これが合唱なんだ」 豊本 護 (70代)

私が「第九」に出会ったのは、退職した63歳の春だった。それまで「第九」は音楽を勉強している者だけが歌うもので、その他は聞く側だと一方的に決めていた。ある日、友人が「一度多くの人たちと一緒に歌わないか。きっと病みつきになるよ。」と勧めてくれ、「やってみるか。」と決意す。ドイツ語で歌うのは大変だったが、事務局の方から、「初めての人でも暗唱してください。演奏会では自信を持って歌えますよ。」と勇気づけていただき励みとなった。とても苦しい時もあったが、みんなと一緒に歌い始めると不思議に力が湧いてきた。初舞台の第11回の演奏会では緊張したが、客席との合唱に入ると体が熱くなり、感激し涙が出てきた。「これが第九なんだ。これが合唱なんだ」と気付いたのだ。翌年から「第九」で新たな気持ちとなり、新年を迎えるのが当たり前となっている。これからも歌い続けて行きたい。きっと続けていくでしょう。

「初参加2009年の日記」 野澤 隆夫 (70代)

私の“第九ひろしま”初参加は、2009年。その時の日記を読み返しました。
12月19日(土)晴れ 寒風。
日本海側は大雪。本日リハーサル。高松8時21分発の高速バスで広島へ。
帰りのバス乗り場をチェックし、会場の広島サンプラザへ。広場に立派なモニュメント=西部の門。“水と人、土と人、人と風、空もゆる…”。会場は合唱団、観客含め3千人規模の感じ。私の席は、ソリストの真後ろで、特等席。リハーサル終わって、広島駅から5分のホテル・セブン・シーズへ。清潔できれい。疲れたので早寝。
12月20日(日)晴れ
よく寝た。朝食は五穀米のおかゆ。今朝も寒い。早めに会場へ。昼食券を買い、10時から席決め、発声練習、ゲネプロは、サントリーと同じ。コーラスは、1465人。ソリスト4人はウィーンから。指揮者・山下一史。演奏・広島交響楽団と超一流。会場と一体の“歓喜の歌”を歌いあげ感動。“蛍の光”の後、ステージ上でビールの乾杯は初めての経験。今年の“第九”全ての締め。来年も“第九ひろしま”に参加するぞ!そして今年で4回目の参加。懐かしい“第九ひろしま2009”のパンフレットとDVDは、大切に手元に残っています。

「第九は人生の応援歌」 加藤 昌美 (70代)

「第九」は、私にとっては他の何物にも代え難い、人生の応援歌である。かつて、私は、仲間意識を高めつつ、「人生ここに再び」と奮い立つ思いで「第九」を歌っていた。私は、最近喜寿を迎えたが、「第九」については、『感動しあえる仲間がいる。』のである。 すなわち、現在、定年退職している私であっても現在なお継続して毎年年賀状を交換している仲間がいるのである。因みに、彼は、現在でも「第九」を歌うのを続けている。蛇足ながら、私は、15年くらい前に、それまで仲間と続けてきた「第九」を歌うのを止めていたが、今回復活したという次第である。なお、私が啓発されている詩歌二点の一つは、米国の詩人サムエルの―青春―、であり、他の一つがベートーヴェンの「第九」(An die Freude 歓喜に寄せて)である。まず、サムエルは、「青春」について、「青春とは、人生のある期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ。…歳は70であろうと、16であろうと、その胸中に抱きえるものは何か。曰く、事に処する剛毅な挑戦、…人生への歓喜と興味…人は希望ある限り若く、失望とともに老い朽ちる」の箇所に、私は共感を覚えている。次は、ベートーヴェンの「第九」である。411‐443小節は、男声のみの合唱の部分であり、「駆けよ 兄弟よ おんみらの道を 喜びに満ち 勝利に進む英雄の如く!」であるが、トルコ行進曲を題材としたと伝えられるこの曲に、私は鼓舞されているのである。

「なぜ続くのだろうの答え」 中村 喜美江 (70代)

昭和17年生れ、小学時代先生に誉められ、学校のオルガンで歌う楽しみを覚えた。仕事、結婚、両親の看取りとあっという間に70代になった。2000年、RCCの2000人で「歓喜・第九」を歌うという放送を見た。第九?ドイツ語?自分の声の程度?何もかもチンプンカンプン。覚悟を決め第九の船に乗った。仕事と両立、歌えず悔しかった。それでも「やったー」と喜びが湧いた。72歳まで看護師である。悪いところを直し、病人、家族ともどもほっとし安堵を感じる。一安心するとき、良かったと満足を覚える。心温まる思いを何回も与えて頂いた。思うように歌えない「歓喜・第九」。よし、今年はというやる気、向上心。自分のものになり、達成したことへの喜び。仲間との交流。知らない世界への学び。観客と一体になりやったという満足。すべて、看護職と同じ効果を与えてくれる第九。これがなぜ続くのだろうの回答である。

「初参加は自分自身への挑戦」 佐々木 良二 (70代)

私は、中学生のころからクラシックが大好きで、特にカラヤンが指揮するベートーヴェンの第九交響曲はぞっこん惚れ込んで今日に至って居ります。
昭和42年9月に広島に移り住み、爾来いつの日にか第九の合唱に出たいと思って居りましたが、気がつけば71歳を超えて居ります。無謀とは思いつつ初参加で出場したいと考えております。またこれは自分自身への挑戦でもあります。「やればできる」ことを目標に頑張ります。

「長靴で2時間かけて通った基町会場」 ニックネーム:ナナ子(80代)

今年で30回「第九ひろしま」に出演。両国会場へは3回、大阪会場へは2回出演した。阪神大震災の時は列車が不通で広島から東京へ飛行機で参加した。当初は高速バスもなく大雪の朝でも長靴をはいて基町の練習場まで2時間近くかけて毎週通った。先輩の2人と朝早くバスに乗車して、終わるとすぐとんぼ返り。厳しい姑や音楽に理解の無かった主人に気兼ねして通い続けたことを思い出す。その先輩の1人は目の病気で5年前に第九をやめ、もう1人の方は3年前に他界され今では当時の人は私1人になったが、三次会場ができて男性や女性学童が40人近くで頑張って続けている。私の人生の傍にいつも歌があり、「第九」が元気づけてくれた。今では身内も友人も「第九」の放映を心待ちにしてくれる。私が80歳の今も元気でいるのは「第九」を歌うと心に決めているからだと思う。「広島第九」に栄あれ!!

「少しでも第九でのレベルアップを」 井上 資也 (70代)

現役時代にテレビで見た第九ひろしまで、何の経験もない私が退職後参加してみようかな、と思ったのが今回11回目を迎える動機です。しかし、4回目でやめようかなという時もありましたが、何とか第九を歌いたいという気持。歌った後のあの達成感を味わいたい、周りの方々とのコミュニケーションを楽しみたいなどが、現在迄続いている理由かもしれません。今は他の合唱団にも入り、日頃から歌の練習を行い、少しでも第九でのレベルアップが出来ればと考えております。これからも元気に、第九ひろしまに参加して行きたいと思いますので、よろしくお願い致します。

「友の分まで歌う第九同窓会」 阪田 治子 (60代)

「また来年必ずね!」私たち4人は毎年第九ひろしまに参加していました。数年後、1人は金沢へもう1人は福岡へと帰郷しました。しかし第九への参加は「第九同窓会」として、それからもずっと続いています。年末になると広島に集まり「Freude!」と合唱し、夜は1年分以上のおしゃべりをする、楽しく大切な集まりです。ところが2年前の秋、金沢の友が「胃がんの手術のため参加できない」と云ってきました。そして半年後の昨年5月逝ってしまいました。昨年は3人とも歌うことをためらいましたが、友を金沢に見舞ったとき「広島で第九を歌っていた頃が一番輝いていた。楽しかったね」と笑顔で話していた友を思い、参加を決めました。彼女と一緒に歌っている気分でした。4人で参加できない切なさと悲しさは今もありますが、今年も3人で彼女の分も一緒に歌い、思い出話に花を咲かせようと思っています。

「来年の夢はベルリン」花岡 一郎 (80代)

傘寿を迎えた一昨年8月、第三の自分史を飾る特ダネを創りたい。と思っていた時、目についたのが「第九ひろしま2012」団員募集の新聞記事でした。早速8月の「ビギナー体験レッスン」を受講。パートはバス。9月からパート練習。福山会場へ電車片道1時間の苦も、燃える心でなんのその。参加者は50人余り。桑田あきこ先生のドイツ語発音・解釈と懇切丁寧なご指導も、初めはなかなか馴染めませんでした。が、忍耐の後の喜びを思いながらメロディーがつくと、楽しくてついて行けるようになりました。11月の混声合唱に入ると、多くの先輩に力づけられ声も元気に出るようになり、楽しさ倍増与えられた命に感謝しながら歌える喜びを実感するようになりました。
大植英次先生指揮の本番では、歓喜の歌に感激し感涙。昨年は大阪「一万人の第九」にも参加。「第九ひろしま2014」を感謝し大いに歓喜します。来年の夢はベルリンです。

「亡き父たちにこの幸せを届けたい」 應原 光子 (60代)

今回の第九は、私にとって今年最大のイベントです。実家の母、義母、義妹と私の参加です。実母は92才、平成5年から毎回地域のコーラス仲間と参加しています。第九が元気の源と言っても過言ではないと思います。母は来年93才、同じステージに立てるのはあと何回?と考えてしまいます。親孝行をしたかと思えど、今だこれというものも無くこの第九参加を最高の機会として楽しませて頂きます。また義母も参加経験があり、義父が他界して3年寂しさに加え足を痛め家に篭り気味でしたが、元気を出してほしくて声かけしましたら義妹も一緒にと心弾ませ少しずつですが笑顔も増え発声練習にも意欲が感じられます。
復興がなかなか進まない被災地の方々には心苦しいのですが、私達の「歓喜の歌」を亡き父達にこの幸せを届けたいのです。そしてこの第九が益々発展し、世界に響く「歓喜の歌」になりますよう心より願っています。

「広島弁しかしゃべれない私がドイツ語で歌う?」 河村 義則 (60代)

私は「第九ひろしま」に参加して今年で9年になります。出会いはテレビでCMを見て、興味が湧いたことです。そもそも、カラオケは下手、コーラスの経験は無し、パートは分からない、ましてや広島弁しかしゃべれない私が、ドイツ弁(語)で歌う?今考えると無茶苦茶な事ばかりでした。興味本位と言うのは怖いです。が、頑張りました。朝夕の通勤時間、昼休憩にはCDを聞き、カタカナで用紙にドイツ弁を書き、CDと一緒に声を出しました。(少しでもドイツ語に近づけるように)幸い私が通う三次の練習会場には立派な指導の先生がおられ、現在まで続けられたのはその先生のおかげだと、深く感謝しています。また、歌を通して友情の輪が広がりました。第二の人生を歩んでいる私ですが、毎年出す年賀状の数が増えています。私は人生最後まで歌い続けます。

「いつまでも止まることがなかった涙」 ニックネーム:NGO (70代)

第九ひろしま」に入団して既に9年が経過した。年末になると何処からかともなく『ジングルベルとフロイデ!フロイデ!』のメロディーが流れてくる。大学生時代ドイツ語は少々習ったが早口で歌われる第九、一体何と歌っているのか知りたい…常々そう思っていた。丁度その頃、母が88歳で他界、鎮魂のために四国88ヶ寺を巡礼し冥福を祈った。しかし、何時までも母への思慕は消え去らない…「アッ、そうだ!母は大の音楽好きだった。第九を天国へ届けよう」そう願ってチャレンジを決意した。
青葉マークの私は些か緊張と興奮気味でサンプラザの壇上に立ち、指揮棒に合わせて大きな口で、終始ひきつった笑顔でそして腹の底から天国に向かって力強く、1300人の合唱団と共に歌い終えた。その時、目に涙が溢れていた。「やった!届いたぞ!」涙はいつまでも止まることがなかった。現在70代の私、母と同じ88歳になる迄は歌い続けたいものである。

「生ある限り平和の歌詞を唱い続けたい」 中村 健(60代)

静岡県浜松市の中学生時代に「?晴れたる青空ただよう雲に♪」を美人の先生に習ってから、いつかは唱いたいと思っていた曲でした。39歳の時に赴任先の和歌山で始め、年に3回の時もあり数だけは30回を超えました。当時は楽譜を読む以前の問題でベテランの方に前後左右を守られて、それこそ口移し・耳移し状態でした。出席簿があり仕事が終わって週2回を忙しい中にも楽しく通いました。私も若かったのですがもう少し若い団員からは声にアルコールを感じたのも愉快な出来事で、彼とは20年以上を経た今でも年賀状を交換しています。
第九の初舞台は小林研一郎、京都市交響楽団により和歌山県民文化会館でした。ソリストの声が後方の私にまで空気の震えとして伝わり自分が唱うよりも感動で聴き入っていた時間の方が多かったように思います。打ち上げ後、帰宅してから年甲斐もなく大涙でした。その後は地元の横浜、東京、そしてH17~H21迄の単身赴任で広島第九に出会いました。会社業務を離れ別の世界に打ち込み、仕事以外の方々とお話が出来て新鮮な気持ちでした。赴任最後のH21は11月末に父が89歳で亡くなり、ひときわ感慨深いものでした。
最近は大涙こそありませんが終盤が近づくに連れて1年間の出来事がミラーボールのように思い出されます。現在は広島サンプラザホールとサントリーホールの年2回、まだまだこの先も生ある限り「神の翼の元に集う人々みな兄弟」の平和の歌詞を唱い続けたいと思っています。

「歌い続けられている第九と同様夢のある幸せな家庭を」 ニックネーム:孝子ばあちゃん (70代)

この度第九ひろしまに初参加。何故この年令で初めてと思われていることと思います。
孫が結婚式に「歌を歌ってよ」と頼みに来て、その場は断りましたが何か思い出にできることはないかしらと考えた時、第九ひろしま合唱団員の受付をテレビで見て決意しました。
8/19日に申し込ませて頂きました。翌日広島土砂災害が発生し自然の猛威の不意打ちで大勢の犠牲者が出ました。今後其のことを思念し2014年を忘れられない年として参加させて頂きました。孫の結婚式も9月28日感動の中終わり、第九ひろしまが永遠に歌い続けられている事と同様夢のある幸せな家庭を築いてほしいと願いを込めて練習させて頂いております。むずかしいので無理かなと思いましたが、「毎日続けることに価値が有る」と8/25中国新聞に掲載されていた横山アナウンサーの講演内容を思い出しながら、又「今年初参加の私と毎年出場している弟をベッドの中から二人を見つけてね、お母さん」こんなに頑張り、諦めない心で歌っています。

「第九と私を繋げる細く長い糸」 ニックネーム:スミチヨ (40代)

「第九」に初めて出会ったのは中学二年のときだ。音楽の先生がベートーヴェンの「第九」という、なにやら歌詞は難しいが一度聞いたら忘れられない音楽を聞かせてくれ、一番有名な合唱の部分を「カタカナ」で歌った。「フロイデシェーネルゲッテルフンケントホテルアウスエリージウム…」意味も何もももちろんわからないが、ドイツ語という未知の言語の響きは心地よく魅力的で,心に深く残った。大学で第二外国語としてドイツ語を勉強し、社会人になってドイツにも何度か旅行するうちにドイツ語、文化、人々、食べ物などが大好きになってきた。ぼんやりした憧れだけで過ごす日々が続いたが,4年前偶然カルチャーセンターのドイツ語講座の案内を見つけ、すぐに入会した。ほぼゼロから始めるドイツ語に夢中になり、ドイツを愛する仲間に出会った。
昨年ある日、29回目という「第九ひろしま」の案内が目に入った。「28年間なぜ出会わなかったの?」という後悔は置いておき、ドイツ語教室の先輩たちとすぐに入団した。中学生のときに習った歌詞が自然に口をついて出た。何十年経ってもその歌詞を忘れていなかったのは,「第九」と自分とを結びつける細い長い糸がわずかに繋がっていたからだろうか。「中学生のときに覚えたカタカナのままでちゃんと歌える!今は意味がわかる!」
カタカナで声を張り上げて歌う中学生の自分を懐かしく思い出しながら、今は歌詞の意味を噛み締め、おそらくこれから生涯にわたってお付き合いするであろう歌を毎日歌っている。Freude!

「根気よく練習すれば必ず思いが叶う」 髙橋 ミチ (70代)

「第九ひろしま」30年も続くプロの交響楽団と、一般公募の合唱団との協演は、日本では他に例が無いという。
不安の中、たった独りで初参加した一昔前が懐かしい。難解な独語の歌詞、発音、独特の調べ。週2回の練習も付いて行けず、CDを買い自主練習。何とかなるだろうと覚悟を決め、11月より混声練習へ。ドンと肚に響くバスとテノール。ソリストとの絶妙な掛け合い。その素晴らしさを肌で感じ、渾身の練習でやっと全体の流れが判り、暗譜も何とか半分近くマスターしたが…。本番では上がってしまい、必死の練習はどこへやら。あっという間に終わってしまった。練習を重ねることの大切さを学んだ。初参加で完璧に歌える方はまず居ないと思う。根気よく練習をすれば、必ず思いが叶う時は来ると自身の経験から確信する。
8年前、大阪城ホールでの「1万人の第九」に参加したことも懐かしく思い出される。
5年前に第九で知り合った方達と、少人数の「あじさいグループ」を誕生させた。元気で居る限り第九を歌い、各々の1年を締め括ろうと誓っている。「第九ひろしま」こんな楽しい歌う仲間の皆さん。がんばろう!!来年も再来年もずっと…。

「第九参加はベートーヴェンだけに運命?」  矢野 泰子 (50代)

 

今年で参加6回目となる第九ひろしま。私は火曜の寺沢先生のレッスンに行っていますが、毎回楽しいご指導で、歌っているか笑っているかの、あっという間の2時間です。音楽の授業でしか合唱経験が無い私が第九に参加するのは、ベートーヴェンだけに運命?
友人がビギナーレッスンに行くと聞いて軽い気持ちで付いて行ったら、歌うことが楽しい。そこで出会った4人組の方々にナンパされて5人からの団体割引で入団することを即決。ひたすらアルトパートのお経のようなCDを毎日聞いて、何とか覚えた初ステージ。義弟の見合い相手と偶然にも同列で唄って乾杯したり(今では義妹)、友人と団体で参加したり。それを母や姉、夫や義父まで聴きに来てくれて、第九は私の1年を締めくくる素敵なイベントです。

「今年は初舞台 成功できたら自身を誉めたい」 岡 素子 年代(70代)

「第九ひろしま」30周年にあたります今年、初めて参加させていただきます。きっかけは、RCCラジオです。以前もずーっと聞いてはいたのですが、今年はなぜか参加の意欲がわいてきて友人を誘ったのですが多忙との事で、1人で申し込み致しました。広響は50周年と自身も、来春で嫁いで50周年、最年長の孫は、年末で20歳、他にも高校入学小学校入学、それぞれ末春は、めでたい行事が重なります。毎年恒例の第九にピッタリ焦点が合い今は初舞台に向けて、練習に励んでおりますが元来、音符が苦手な上に発音も難しくて四苦八苦しています。あと2カ月余りで本番になります。成功できましたら自身を誉めたいと思います。故に皆様と共に、歓喜の歌の合唱がんばります。

「失敗を重ねて、いつの間にか暗譜」 西本 興太郎 (60代)

「第九ひろしま‘85」-私が歌った初めての「第九」である。今を遡ること30年前のことである。当時、狭い借家住まいであった私の日々の練習は、パート練習用のカセットテープを聴きながらの車の中。その出来栄えを週末の混声練習で確認し、出来の悪い所を日々の練習で修正して次回の混声練習に臨んだ。 
ある日の混声練習では、歌うページを間違えているのに気付かず、何度も指導の先生のタクトを止めてしまった。思わず、「すみません」と先生と皆さんに謝ったが、実に迷惑な団員だと思われたことであろう。そんな失敗を重ねているうちに、いつの間にか暗譜で歌えるようになっていた。そして迎えたサンプラザでの本番。多くの聴衆を前に堂々と暗譜で「第九」を歌いあげることができた。その時の感動を5度目の参加となる「第九ひろしま2014」でまた味わいたい。

「第九は主人との思い出の遺産」 大村 律子 (80代)

第九との出会いは主人が病気で入院している時、意気消沈していましたので、元気づける意味で「私がテレビから声をかけるから、それまで頑張って」と冗談に云ったのがきっかけでした。丁度第九の募集をRCCのテレビで見て飛び込みました。「78歳から申し込まれた方は初めてです」との事でしたがドイツ語を般若心経を覚えるように1日中カセットをかけて頭に入れました。初めての年末の発表の時、「ご主人見て聴いてもらうのでしょう」と、一番前のオーケストラのところで歌わせていただき感涙しました。主人も涙を流して嬉しそうに旅立ちました。第九は私の生きがいです。主人との思い出の遺産です。若い人に支えられ、楽しく参加させていただいています。私の健康の源で今年で6回目です。ベートーヴェンに感謝です。

「第九は心身の健康のバロメーター」 大石 真理 (40代)

20年前、初めて参加させていただきました。その頃は「8000人の第九」というタイトルだったと思います。ただの歌好きの素人が大きなホールでしかもオケと共に歌えるなんてワクワクドキドキしたのを覚えています。本番が終わった時の感動はそれまで体験したことのないものでした。それからはしばらく子育てや仕事が忙しくて参加できませんでしたが、下の子の子育てに息づまった時、目に飛び込んできたのが第九ひろしまのCMだったのです。この年は一人で参加。次の年は第九ですてきな友人ができました。次の年には姪っ子を誘い毎年参加しています。今では第九ひろしまは、私になくてはならないものであり、心身の健康を保つうえでのバロメーターとなっています。第九が歌える限り、私は頑張り続けることができるのです。フロイデ!!!

「第九ひろしまが続く限り参加」 ニックネーム:安佐南のタカチャン (40代) 

私はクラシック音楽が好きで、特に第九を歌ってみたいと2000年に初めて第九ひろしまに参加しました。最初はドイツ語で歌えるか心配でしたが、歌ってみてドイツ語でも歌えるんだと思いました。今では、たくさんの仲間と歌えるのが楽しみです。この先も第九ひろしまが続く限り、また声が出せるうちは第九に参加しますので、これからもよろしくお願いします。

「最後に蛍の光で1年を締めくくり」 遠藤 京子 (60代)

第九を始めて、今年で15年目に入ります。RCCラジオで第九募集の放送を聞き、歌が好きだった事もあり、是非私も挑戦したいと思いました。関東で以前姉が歌っていて、ドイツ語の発音が厳しく暗譜すると聞き、テストがあるのか不安で一杯でしたが思い切って申込み練習に行きました。先生方が優しく楽しく丁寧に指導して下さり、カセットと本と首っぴきで、何とか1年目から歌う事ができました。友人も出来、最後に「蛍の光」で今年1年を締めくくる恒例となりました。その感動は忘れられず、ここまで続けて来られたのだと思います。大阪城ホールでの1万人の第九も、広島とは又、違った感動があり、一生の思い出です。これもRCCの方々の御蔭だと感謝しております。本当にありがとうございます。健康でいる限り、今年も又、舞台で皆さんと一緒に頑張りたいと思っています。これからもよろしくお願い致します。

「たくさんのつながりと達成感」 山崎 裕子 (50代)

私は、広島第九は今年で6回目の出場になります。この4~5年波乱万丈です。去年の年末には、主人のガンが全身転移している中で第九を歌うことができ、今年の8月9日、主人は永眠しました。
第九に出場することにより、たくさんのつながりがあり、毎年、ほんとうに達成感があります。そして新しい出会いもあります。今年は土砂災害もあり、さみしい夏になりました。早く皆さんが安心して心がやすらぐことを願っています。

「皆さんの笑顔や歌声に元気をもらって」 石田 理恵子 (40代)

「40才になるから、ちょっと何かチャレンジしてみよう」と思ったとき、第九ひろしまのチラシを見て申し込んだのが私と第九ひろしまのご縁です。合唱は学生時代以来、第九はCDで聞いても心地よく寝てしまい合唱が始まる所まで聞いたことがない、という私でしたが、先生方のご指導のおかげ、共に楽しく歌い支え合える皆のおかげで今年4回目の参加となりました。「第九ひろしま」30回目の開催おめでとうございます。そして、今まで30年間、歌い継いできて下さった皆さんありがとうございます。ベートーヴェンの音楽の素晴らしさや魅力、そして楽しさを多くの人々と分かち合える喜びを今、感じられることに感謝の気持ちでいっぱいです。
RCCロビー女性パート練習①縄組の皆さん、日曜日朝9時という早い時間にもかかわらず、毎回、都合をつけて練習にお集まりいただき有難うございます。皆さんの笑顔や歌声に元気をもらっています。ご一緒できてうれしいです。

「毎回新発見の連続」 井町 佳世子 (70代)

93年転勤族の我が家が始めて廿日市市の自宅に入居しました。子供は3人とも大学生で夫婦2人だけです。さっそく廿日市の友達作りにいろんな行事や教室に参加し偶然にもその年の『第9回第九ひろしま』に申し込んだ人がいて、「私もよ」と大盛り上がり即刻廿日市の友達1号。あれから22年間休まず揃って練習に通っています。1年目はテープで朝に昼に耳から叩き込んで丸覚えしました。本番まで「第九」を聞いたことがなかったので、4楽章まであって合唱は最後の何分間だけというのも驚きでした。毎年指揮者からいろいろ教えられ、毎回新発見の連続で飽きる事なく年末の行事。本番終了後の達成感はたまりません。22年の間夫の単身赴任、両親の永眠、子供達の結婚、孫誕生、姑の永眠と身内の出来事や民生児童委員を11年間引き受けたりと次々ありましたが、不思議と「第九」だけは支障なく続けて参加出来たのです。これは感謝の他ありません。ありがたいことです。

「脳裏によぎるドイツ人捕虜の第九への想い」 ニックネーム:ヨッチャン (70代)

私が初めて第九に接したのは,当時赴任していた徳島県鳴門市でした。同市には第一次世界大戦中にドイツ兵の俘虜を収容した坂東俘虜収容所があり、俘虜たちが日本で初めて第九全曲を演奏し、合唱したそうです。収容所生活では楽器も十分でなく、女声パートも持たない彼らが第九を演奏・合唱するということは、想像以上に大きな困難があったと聴いています。それでも、彼らはそれに挑戦し、成功したのは、第九の主テーマである「歓喜」が苦しい俘虜生活を忘れさせてくれたからではないかと、私なりに推測しています。これが私の心に残り、彼らが歌った第九を歌ってみたいと思うようになりましたが、合唱の経験が全くなく、さらに転勤族の私にはその機会はありませんでした。
広島に帰ってから、「第九ひろしま合唱団」の存在を知り、何度か躊躇をした末に2年前から参加するようになりました。今年が3回目の参加になりますが、歌うたびに私の脳裏をよぎるのは、困難を乗り越えて第九を日本で初演した俘虜たちと、彼らの第九の演奏・合唱に込めた想いです。

「優れた多くの指揮者に導かれて21年」 尾関 弘 (80代)

1994年10月、「退職後は好きなコーラスを」の願いのもと、8月「第九ひろしま’94」の発会式に参加したのがスタートでした。詩、発音、譜読み、曲想、暗譜等々すべてが初めてのことです。テープを購入、外出時、自転車や、乗車内はイヤホンで聴くなどまさに必死でした。こうして12月18日(日)、一生の思い出になる初出演でした。広響さんと共演させて頂く事も初めてです。演奏も進み、団員起立、そして「フロイデ」の第一声の感動から、会場の皆さんと「歓喜」の大合唱、終章に近づくにつれ、声は震え感涙を必死に押さえながら歌い終わり、会場の皆さんから鳴り止まぬ拍手「ブラボー」。友人から「素晴らしかった」の労いと共に花束を贈られ、また感激でした・・・。あれから20年、1度も休むことなく21回目の出演を迎えています。優れた多くの指揮者に導かれ、歌わせていただき感謝でいっぱいです。中でも尊敬する大植指揮者のベートーヴェン、平和、郷土愛、演奏者、会場の皆さんへの熱い思いは、いつまでも心に刻まれています。自分も歳を重ね声量・質、体力も衰えは隠せません。健康に留意し、今後とも1年、1年を大切に歌わせていただきたいと思いますので宜しくお願いいたします。

「孫たちの巻舌フロイデ」 部谷 芳子 (60代)

「第九に出てみたいなあー」と長い間思っていましたが、実現したのは還暦の祝いとして何か記念となる思い出を作ろうと友人と参加してから。あの感動、感激は忘れられず、とりこになってしまいました。歌うことはもちろん、知らない人達とおしゃべりするのもとても楽しみです。
今年の第九は、孫2人と舞台に立ちます。孫達も楽しそうに「フロイデ」「フロイデ」と巻舌で歌っています。私は、巻舌が、いつになったら出来るのでしょうか?
あの感動をまた味わえることを楽しみに、一生懸命、日々練習しています。

「今日もお腹からフロイデ!」 小倉 裕美子 (50代)

TVを見ていてふと「おもしろそう」と思って即申し込み、ビギナーレッスンに行くと「えっ、ドイツ語!?」できるのだろうかと不安にかられていると上野先生の優しい歌声を聞き「やってみたい」と参入する。レッスンは縄先生のクラスに参加。これが、また実に楽しい。歌ならずも、健康にいい。(実際、カープのジェット風船を膨らますことができるようになった。)2時間の練習はあっという間に終わる。(先生の服の色も楽しみの一つである。)とにかく毎日CD三昧。家族の迷惑省みず、特に車中はオンステージ。
本番は緊張したけど、ただただ感動。そういえばRCCの方が「泣きますよ」と最初に云われていたのを思い出した。なるほど、と納得。そして今年3回目。ソプラノからアルトに転身。まるで新曲であるが、やはり楽しい。今日もお腹から「フロイデ!!」

「第九ひろしまを中心に回る年月のサイクル」 遠山 昭雄 (60代)

広島サンプラザホールで第九ひろしまの演奏を聴いてから早や10年目となります。初めて歓喜の歌を生演奏で聴き、その迫力に圧倒されたことを思い出します。この感動を味わいたくて、翌年合唱団員として参加しました。ステージで無事に歌い終えた時、満足感と自然にこみあげてくる感動の涙は言葉で表現できません。この感動を味わいたくて毎年合唱団員として参加するようになり、今年で9回目となりました。今は年末の恒例行事として、歓喜の歌を合唱しないと新年を迎える気になれません。第九ひろしまを中心にして、年月のサイクルが回っている感じです。この活動を通して、多くの新しい友人もでき、楽しい交流の場が広がり、今は私にとって貴重な宝となっています。今年は30周年の節目ですが、私には60歳代を生きぬき、新たな70歳代に入る記念の回です。今年も合唱団員の皆さんと共に、感動を分かち合い、次の新たな10年後に向かって頑張っていきます。

「今年は会員番号30番」 今井 宏子 (60代)

私は1999年(15回)から第九に参加しています。(途中何回か抜けていますが)今年は記念すべき30周年ということで、特別な思いを持って臨みました。まず私は、会員番号1番を得るべく6月2日の受付開始日午前9時郵便局が開くのを待ちかまえて手続きをしました。数日後、楽しみに待っていた会員番号が届きました。30番でした。1番でないことには落胆しましたが、考えてみれば今年は30周年記念だから、30番のほうが断然いい番号だと思いました。
そして、さらに私が取り組んだことは、ベートーヴェンと第九に関する本を読むことです。考えてみれば、知ってるつもりになっているだけで、そのことについてほとんど知らないことに気付いたのです。ここにその本をご紹介しましょう。「ベートーヴェンの真実.2012.6」「第九誕生.2013.8」「第九交響曲.ニッポン初演物語.2009.8」どれも最近出たばかりで、その内容に驚きと感動を覚えました。
さらに特筆すべきは、第九合唱団への参加は、私に多くの出会いをもたらしてくれました。中学時代、高校時代、大学時代の各々の友人、知人、そしてドイツリート合唱団との出会いなど、なつかしい過去を引き寄せる機会を与えられたり、また新たな出合いを得ることが出来たことは、何にもまして宝物です。そういったもの全てを含めて、改めて、「音楽の力」を感じています。今後、可能な限りずーっと歌い続けたい思いです。

「介護・福祉の仕事に導いた第九」ニックネーム:金田一 耕助 年代(30代)

初めての「第九ひろしま」の参加は、今から12年前、2002年に錦織健さんが、テノールのソリストとしてゲスト出演されたのが最初でした。初めてということもあり、胸の痛みが本番収録中一日中とまりませんでしたが、今となっては、毎年欠かすことのない“恒例の一つ”となりました。あれから12年、干支一回りし、沢山の方々と出会い、様々な“コミュニティー”と出会うことができました。また、“職業”として、介護・福祉の方向に導いたきっかけを与えてくれたイベントでもあります。「第九ひろしま」の合唱が、最高の出会いを授けてくれたように思います。レッスン一回一回に通うのも、イベントに参加するようで待ちどおしく、いざ終わってみれば、“つわものどもが夢のあと”のように感じられますが、今年は、どのような展開が待っているのでしょうか。

「窓を全開で1人発声練習」 勝 照子 (60代)

「ハイハイハァーイ」「アエイオウー」「フロイデ」「アーレメンシェン」「フォルゴート」
暑い夏、窓を全開で1人発声練習。ご近所の方に「あらまたこの季節ね」「年末までやれやれね」なんて思われていることでしょう。娘にすすめられて入った第九ひろしま合唱団。私も節目の10回目に。佐伯康則先生の暖かいご指導のもと楽しく続けられています。回を重ねるごとにベートーヴェンの「歓喜の歌」の難しさと素晴らしさを感じています。
記念すべき第九ひろしま第30回の演奏会に参加出来る幸せを思いながら感動のブラボーを味わいたい。

「1年の幸福の集大成、感謝の宝庫」 荒神 ゆかり (50代)

クラシック音楽やコーラスに全く無縁の私が第九ひろしまに参加して20年がたった。第九の壮大さに魅せられ、いつの間にか第九を歌う事が私の心の支えになっていた。6月の参加申し込み、9月からのパート練習、11月から混声練習、そして12月の本番、1年の半分が楽しみで溢れている。そして続けて参加できる幸福をひしひし感じる。家族が元気で、何より私自身が元気であるから…。第九は私の1年の幸福の集大成、感謝の宝庫である。この時期だけ会う友人も増え再会を喜ぶ。また来年も幸福に満ちた“フロイデ!”を皆で歌えますように!祈りを込めて今年も第九を高らかに歌う。最後に第九ひろしま30周年おめでとうございます。この第九ひろしまがずっと続きますよう願っています!“フロイデ!”

「やみつきになりそうな第九の魅力」 光延 奈保美 (50代)

母が始めた第九。サンプラザで演奏を初めて聴いた時は言葉が出ない程感動しました。『一生に一度は、あのステージで歌いたい!』そう思う様になり、昨年ついに第九デビュー。しかし、見た事も話した事もないドイツ語に四苦八苦、頭の中ではフロイデ~♪のメロディー・流れる第九の曲に反応する毎日(苦笑)。休日返上で必死に練習して、周りの方について歌える様になった時の嬉しさ。パート・混声と練習が進むにつれ、本番への期待と不安が大きくなってきました。でも本番当日はステージに立てた喜びで一杯、客席の皆さんと一緒に歌えた時は体が震えました。あれから1年、今年も遅れを取らない様に練習に通っています。やみつきになりそうな第九の魅力。今年も『第九ひろしま』で一年を締めくくります。

「孫と夢の舞台に」 ニックネーム:そめいよしの (70代)

親友に誘われて「第九合唱団」に参加し13回目を迎えます。岡野先生はじめ多くの指導者の先生方等々のおかげと感謝致しています。その間、孫との夢の舞台に立てた事、家族等が年中行事として応援してくれた事が良い思い出になりました。
今年は五十周年を実現された広島交響楽団と秋山和慶指揮者のもと第九を歌える日を楽しみに、レッスンに励みます。よろしくお願い致します。

「今年初参加 残りのレッスンを大切に」濱田 瑞葵 (10代)

私は、今回が初めての参加です。今まで合唱といえば、学校の行事で歌うぐらいしかなかったので、一万人の歌と聞くだけでとても気持ちが高ぶりました。練習では、まずは発音から始まり周りについていくのが精一杯でなかなか歌という感じがしませんでした。しかし優しく教えて下さる先生や、気軽に話して下さる参加者の方々のおかげで、初めてでも楽しくレッスンを受けることができました。本番では、練習の成果が発揮できるよう、残りのレッスンを大切に取り組んでいきたいと思います。

「娘と一緒に第九初参加」濱田 純子 (40代)

初参加でドキドキワクワクです。とっても楽しみな反面ちょっぴり不安も…。昔学生時代合唱部だったので少し興味があったけど、1人で参加する勇気もなく忘れかけていた頃、友人から誘われ参加のキッカケができて嬉しかったです。試しに、高校生の娘に声をかけてみたら私以上に興味があったようで、2つ返事でOK!!男っぽい娘の意外な一面が見れてビックリです。
 当日一緒に並びたくてお願いしたら、私に合わせてソプラノにしてくれたけど、元々アルト系の娘にはきつかったかも…。でも、学校・試験の合間に練習に参加して楽しんでいます。ただ、私達はあまり知らず申込んだのでドイツ語の暗唱には少しとまどっています。気が少し重かったけど、初心者で完璧に歌うのは無理と知り少し安心しました。
 当日はしっかり歌って楽しいステキなステージにしたいです。

「会場で見守ってくれていた娘2人も今年参加」 ニックネーム:すみこ (70代)

もう13回目の第九ひろしま出演となります。初出演の感動を胸に毎年ステージ参加してきました。毎年会場で見守ってくれていた娘2人が”一緒に歌う”と云ってステージに出演する事になりました。下の娘は岡山から殆ど休まず、高速バスと新幹線で広島に来て暗譜で歌える程集中して練習していました。今年も頑張って通っている様です。
「昨年のステージで最後のステージにしよう。」と思っていた私ですが、今年も又参加出来そうで嬉しく思います。

「密かに流れた歓喜の歌」 上山哲一 (60代)

私の第九への想いは深いベートーヴェン好きの父の影響だ。父は私が5歳のときあの世に逝ってしまった。父の膝で聞いた「運命」や「英雄」が私と音楽の出会いだ。おかげでクラシック好きの変な子供になってしまった。そして第九番は永遠の憧れだった。
5年前妻と娘とドイツ、オーストリアへの旅に出かけた。 私のベートーヴェンを探す旅だ。 帰ると首になった。 定年と言う浪人生活。かねてからの憧れ、第九ひろしま2009に参加した。 仕事中は多忙の為参加は不可能だったから…チャンス到来だ。が…それからは苦難の連続(1)ドイツ語 (2)暗譜 (3)難解なベートーヴェンの旋律 三重苦だった。娘が小倉で結婚する為の道中で必死に覚える。 暗譜率50%がなんとか80%まで進歩。 奇跡か…?娘とのバージンロードで「歓喜の歌」が頭に流れた。娘の晴れ姿には歓喜の歌がふさわしい。密かに歓喜の歌は流れた。私の最良の日だった。

「第九ひろしま2014が授けてくれた最初の感動」 沖本 誠 (50代)

中学2年生の時に音楽の授業で初めてベートーヴェンの「田園」を聴き、身震いするほどの感動を覚えて以来、クラシック音楽を聴くようになった私。大学を卒業し銀行に勤務するようになると音楽に囲まれた生活が一変、毎日仕事中心の生活となり30年近くがむしゃらに働いてきました。しかし50歳を過ぎた頃から気持ちに少し余裕ができたのでしょう、テレビから流れる『「第九ひろしま」合唱団員募集』の呼びかけが妙に心に残るようになりました。その頃から「中学生の時の感動を再び味わいたい」と想い始めたのです。そしてその気持ちは年々膨らみ「4人の娘達にも中2の時の感動を味わってもらいたい」と思うようになったのです。しかしそう思いながらも自分自信はなかなか合唱団参加に踏み切れませんでした。55歳になった今年、ようやくこっそり一人で参加を決心。毎週練習に参加していますが、最近の私のいきいきとした様子に24歳になる三女が気づいたのでしょうか、先日「私も来年から参加しようかな」とつぶやいたのです。こみ上げてくるものを抑えつつ私は「楽しいよ、練習用CDを聞きながらすぐに覚えられるし、70歳を過ぎた人も参加しているくらいだから」とさりげなく誘っていました。「第九ひろしま2014」が授けてくれた最初の「感動」です。いつか4人の娘、(ついでに)妻と家族全員で参加できる日を夢見ています。思い切って 私が第一歩を踏み出してよかったと思っています。

「第九は魔法」 小田島 智子 (40代)

今から6年前、夫の転勤に伴い、初めて広島の地を踏みました。文字通り、右も左も分からず、少し沈んでいた私に元気をくれたのは、テレビから流れる第九のメロディー♪『第九ひろしま』の団員募集のコマーシャルでした。元々、第九は憧れの曲。20歳の時に初挑戦し、その後も機会があれば歌ってきましたが、しばらくそのチャンスにも恵まれませんでした。「そうか!広島には第九がある!!」早速、初参加を決めました。RCCの場所を下調べし、ブランクが長かったので発声や柔軟体操などの身体作りをしながら準備。レッスン初日は緊張しながら、RCCの玄関をくぐったものです。幸い、周囲に初参加者が多く、その日に声をかけて頂いた方々は、今でも『お仲間』として、楽しくお付き合いをさせて頂いています。
その年の本番。最後の「ゲッテルフンケン!!」を歌い終えた時は、例えようのない達成感と感動。涙が自然とあふれて来ました。第九は魔法です。何度歌ってもまた歌いたくなる。満足できずに次の課題を見つけ、クリアしていく。その過程もまた楽しいのです。
今では多くの仲間に恵まれ、知り合いも増えました。御指導頂いた先生方やRCCのスタッフ様には感謝しております。ベートーヴェンが『すべての人々は兄弟になる』と謳ったように、この『第九ひろしま』はひとつのファミリーだと思っています。
今後も発展していかれますよう心より祈っております。

「この場所に居ないと体感できなかった感動」 ニックネーム:雪だるま (40代)

初参加です。毎年、夏の告知を見る度に気になっていました。歌う事が得意でない私は、「いつか参加」と思っていました。昨年、「ガン」の告知をされました。「いつか」が「今年」に変わった瞬間でした。参加してみて、もっと早く決心すればよかったと思いました。
声を出す事の楽しさと、みなさんとの声と合わさり合唱となっていく感動が、この場所に居ないと体感できなかったです。今から本番がワクワク楽しみです。たぶん来年も。

「参加できること=幸福」 ニックネーム:ふーちゃん (50代)

私の第九初参加は、第5回目の1989年でした。この年は年明けの昭和天皇崩から始まり様々な大きな出来事がありました。そして、私も何を思ったか、合唱団募集のポスターを見かけ、友人を誘って参加し、夏から練習を始めていたところ11月に入って、ベルリンの壁崩壊の衝撃的な映像が放映されました。混声合同練習で高関健指揮者から「この曲はまさにこの年にふさわしい」とお話を聞き、とても感動しました。当時の楽譜は度重なる引越でなくなりましたが、皆さんで寄せ書きをしたパンフレットは今でも手元に残っています。松本先生も若かったです。
その後、様々な事があり音楽なんかやってられないという状況、心境の時を経て2006年に今度は別の友人から誘われ、参加するものの、すっかり忘れていてM以外は一からやり直し。当時、初心者は暗譜じゃなかった?ような気がします。ところが今回は全員暗譜とのこと。毎回、岡野先生の練習を受け、ドイツ語の発音もていねいに指導していただき、暗譜も出来た~という矢先、11月末に急遽入院、12月に入り手術をすることに。第九に参加するため、3日前に退院させてもらい、どうにか本番に参加できました。
 第九で友達の輪もひろがりましたが、やはり病気で参加が出来なかったり、本人だけでなく、家族に何か心配ごとがあっても参加は出来ません。私は今年で連続9年合計10回目の参加となりますが、参加出来ること=幸福と感謝し、出来る限り続けたいと思っています。
そして、さらに第九ひろしまが続けられることが平和の証でもあり、世界平和への発信となればいいなと思っています。

たくさんの心のこもった手記をお寄せいただきありがとうございました。
これからも『第九ひろしま』はあなたのそばに寄り添っています。
第九ひろしま事務局